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神戸地方裁判所 昭和34年(わ)414号 判決

被告人 前田竹成

昭三・一一・一〇生 無職

主文

被告人を懲役一三年に処する。

未決勾留日数中七〇日を右本刑に算入する。

理由

(被告人の本件犯行に至るまでの経過)

被告人は、小学校卒業後、満洲開拓団員として渡満したが、敗戦後中国国民政府軍の捕虜となり、さらに中共軍軍人となつて従軍中昭和二五年頃負傷し、中国ルーホー所在の病院に入院した際、たまたま同病院の看護婦であつた折尾エキと知り合い、その後蘇州の病院で再会するに及び、将来日本へ引揚げたうえは結婚することを約し、エキは昭和二八年四月頃、被告人は同年五月頃、それぞれ郷里鹿児島県に引揚げ帰国し、被告人は、雑誌記者などしたのち、茨木市で店員等をしているうち、後記前科の罪により受刑服役し、出所後昭和三三年一〇月頃から神戸市長田区所在の印刷所に工員として就職し、いとこの夫に当る肩書住所の岩井方から通勤していた。前記折尾エキとは、帰国後も時おりの文通により消息を伝えあつていたが、昭和三三年秋頃からは繁く文通するうち、折尾から、被告人に対し、早急に結婚生活に入りたい旨たびたび促してきたので、被告人は、未だ具体的な生活設計のないままで、翌三四年三月上旬折尾を同伴し、神戸市内のアパートで同棲することになつたが、被告人は、無一物に近く、敷金や家賃も同女に払わせる始末で、差当つての生活費にもこと欠くありさまであつたところから、折尾は、被告人を全く無視、冷遇し、同月一四、五日頃に至り、被告人に別居を迫り、被告人は、やむなく、再び前記岩井方へ引揚げたが、その後被告人が折尾方から同女所有の衣類等を秘かに持出し入質したことにつき同女から強く追及罵倒され、同女が自分との結婚生活を断念していることを知るに及び、かねての夢が破れ失望と半ば自暴自棄の気持から、同年三月二九日頃ガス自殺を図つたが家人に発見せられ、それを遂げるに至らなかつた。同年四月一日右治療退院後一旦諦めた折尾との結婚生活につき、いま一度同女に会つて話をし、同女が前同様の態度に出たときは、同女を殺害したうえ自殺しようと考えるに至り、同月三日午前九時頃前記岩井方から、無断で果物ナイフ一丁(検乙第一号)と現金約一、〇〇〇円とを持ち出し、折尾が就業しているとの噂のあつた福原及び新開地方面の飲食店を探索したが、同女の所在が判明しないまま翌四日深更に至つたところ、その間宿泊、飲食費及びパチンコ遊戯などに所持金のほとんど全部を使い果し、懐中僅かに八円を残すに過ぎない状態となり、折からの降雨に行くあてもなく、自暴自棄となつて翌五日午前二時頃、神戸市生田区相生町五丁目一一番地先の屋台飲食店「くみ」こと山岡菊美方に至つた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和三四年四月五日午前二時頃、閉店帰宅しようとしていた前記山岡菊美の屋台飲食店において、同女に対し、所持金は八円しかないのに「三枚持つているから」と申し向け、あたかも三、〇〇〇円を所持していて即時代金を支払うように装い、ビール、酒肴などを注文し、同女をしてその旨誤信させ、同日午前五時頃までの間に代金合計一、四五〇円相当の酒肴等を提供させてこれを騙取し、

第二、その頃、右山岡が再三にわたり右飲食代金を請求し、帰宅を促したが、店外は降雨中でもあり、店を出て、行くあてもなく、もとより、ただちに右代金を支払うこともできないため、朝まで夜明ししようなどと言を左右にしてこれに応じなかつたところ、同女が店員藤原清子に、夫山岡繁雄を呼び寄せるように依頼し、清子がこれに応じて店外に出る際屋台の出入口の扉を閉め、外側から掛金を止めおいたのみならず、菊美が被告人によりそい、その逃走を防いでいるようなかつこうで重ねて代金の支払を請求したので、逃げ場を失い、ぐずぐずしていると、清子の知らせによつて人が来て無銭飲食の犯人として警察へ突き出される、そうなると、上衣内ポケツトに秘している果物ナイフについて追及され、折尾を探索していた事情が暴露されるという恐怖感から、その逮捕を免れるため、右菊実を殺害するほかはないと決意し、やにわに所携の果物ナイフを右手に取り出し、立ち上りざま、傍の同女の左横から前頸部に斬りつけ、よつて同女の左前頸部にほぼ水平に横走する長さ約一〇・五センチメートルの動静脈を切断する刺切創を加え、その出血によりその場で即死するに至らしめ

たものである。

(証拠の標目)(略)

(累犯となるべき前科)

被告人は、昭和三〇年六月一六日、大阪地方裁判所において、強盗傷人罪により懲役三年六月(未決勾留日数一五日通算)に処せられ(同年七月一日確定)、当時右刑の執行を受け終つたものであつて、右事実は、第二回公判調書中被告人の供述記載及び被告人に対する前科調書によつて明らかである。

被告人に対する起訴状記載の本位的訴因は、

被告人は、昭和三四年四月五日午前二時頃から午前五時頃まで、現金八円しか持合せていなかつたのに、神戸市生田区相生町五丁目一一番地先の露店飲食スタンド「くみ」山岡菊美方に於て、代金千四百五十円相当の飲食をし、右菊美より代金の請求を受けたが、素より支払の見込がないので、言を左右にこれに応じなかつたところ、同女が店員清子に、夫山岡繁雄を呼びに走らせたのを見て、応援に駆けつけた山岡が、自分を無銭飲食犯人として警察に突出すに相違ないと察知し、事茲に至つては右菊美を殺害して前記代金の支払を免れる外はないと決意し、矢庭に偶々上衣内ポケツトに所持していた果物ナイフを取出し傍に腰掛けていた同女の左前頸部に切りつけ因つて右頸動脈切断による出血のため即死させ、以て右飲食代金の支払を免れ、財産上不法の利益を得たものである。

というのであつたが、検察官は、第八回公判期日において予備的に訴因を詐欺(刑法第二四六条第一項)及び殺人罪(同法第一九九条)に変更したものである。

よつてまづ本位的訴因について、その証拠関係を調査してみる。

前記の証拠によれば、被告人は、一旦山岡菊美から九百余円の飲食代金の請求を受けたが「朝まで夜明ししよう」などと申し向けて言葉を濁し、さらにビール一本、酒一杯(一合)及び肴を追加注文し、これを飲食し、同女から何回も「早く勘定して帰つてくれ」と言われたが、一向に腰をあげなかつたので、同女は、これに困りはて、その後は飲食物の提供をせず、次いで被告人の態度に疑問を抱き、藤原清子をして夫山岡繁雄を呼寄せに出向かせ、清子は、無銭飲食と察知し、出入口の戸に掛金を止めて同人を呼びに行つたことが認められる。

ところが、被告人が山岡菊美を殺害するに至つた心理状態に関する供述は、前後むじゆんし、しかも、供述のたびに変転している。犯行直後司法警察員に自首した当初は、「人違いで殺した」と言い、次いで司法警察員に対する第一回供述においては、「折尾エキに裏切られたことに立腹し、女を殺して自殺しようと決意し、同女を探していたところ、山岡菊美のものの言い方や態度が折尾エキに似ているので、菊美を殺してしまうてやると決意した」と言い、その第三回供述においては、「折尾に対する憎しみと、それに共通したもののあつた山岡のために逮捕されると折尾への復讐ができないから山岡を殺して自殺することを決意した」と言い、検察官に対する第二回供述においては、

「それで、私は、兄さんとか言う人が自動車でやつて来れば、金は一文もないのでたちまち騒がれ、警察に突き出されることになるので、何とかせねばならぬと思つたので、一思いにこの店の女を刺し殺し逃げてやろうと言う気持になつたのである。当時の気持を振り返つて見ると、長田から自動車で男がやつて来ることが非常にこわかつたのである。それと、女と言うものは、エキに限らず薄情なものだと言う絶望感に頭が一杯であつた。」

と言い、その第四回供述においては、

「……私は、男が来るまでこゝでぼやつとしていると、無銭飲食で警察に突き出される。そうなれば、エキを殺す積りで入れているナイフのことで追及される、と、このような事が頭にぴんと来たのでその瞬間頭がボーツとなつてしまつた。そこでその場を飛び出し逃げようと思つたが、戸が閉つているし、マダムは私のそばにくつついているので、とてもこのまゝでは逃げられないと思い、ひと思いにこのマダムを刺し殺して逃げてやろうと言う気持になつたのだ。」

と言つている。従つて、捜査官の付した被疑事件罪名も、殺人から強盗殺人へ、更に殺人、強盗殺人と変転している。そして、被告人は、公判廷において、司法警察員に対する前記各供述内容のことごとくを否定し、検察官に対する第二、四回供述調書中の一部を自認したのであるが、要するに、被告人が当公判廷において供述したところを綜合統一すると、

被告人は、判示のように、所持金八円くらいしかないにかかわらず、三、〇〇〇円を所持するように装い、山岡菊美を欺罔して飲食したこと及び被告人の態度を怪んだ菊美が、飲食物の提供を中止し、藤原清子をして人を呼びにやり、しかも出入口の戸に外側から掛金がかけられ、容易に逃げられないような状態にされた以上、誰かが間もなくやつて来て捕えられ無銭飲食犯人として警察に突き出されるのみならず、そうなると、上衣内ポケツトに果物ナイフを秘していることを追及され、折尾を探索している事情が暴露されるという恐怖感から、その逮捕を免れるため菊美をナイフで切つたのであつて、金のことは考えなかつた、従つて、代金の支払を免れるという意思はなかつた。

というに帰着する。結局全証拠を通じ、被告人が飲食代金の支払を免れるための殺害行為であるという直接の証拠はどこにもない。そして、逮捕を免れるという意思が、財産上不法の利益を得るという意思と同一であるという前提を是認するならばとにかく、さような解釈はできないから、本位的訴因にいわゆる二項強盗罪は、証拠上認めがたいことになる。

それのみならず、本件を法律解釈として考察してみると、無銭飲食による詐欺罪は、飲食物の提供を受け終るとともに完成し、財物騙取の後、その代金ないし弁償金の支払債務を免れる行為は、新たに財産上の法益を侵害するものではないから、別個独立の詐欺罪は成立しないのである(大審院大正二年一〇月三〇日判決)。

そして、刑法第二三六条第二項の不法利得罪いわゆる二項強盗罪は、暴行脅迫によつて財物以外の財産的利益を取得することをいうのであつて、同条第一項と同様に、奪取罪の一態様であるから、同罪が成立するには、必ずしも、他人に財産上の処分行為を強制することは必要ではないが、犯人の意欲した利益すなわち客体が、被害者の支配から他人又は第三者の支配下に移転したと認めるべき事実又は移転と同様に評価し得べき事実が存在することを要する。もとより、その方法においては、犯人が債務の支払を免れる目的をもつて債権者に対しその反抗を抑圧すべき暴行脅迫を加え、債権者をして支払の請求をしない旨を表示させて支払を免れた場合であると、右の手段により、債権者をして事実上支払の請求をすることができない状態に陥らせて支払を免れた場合であるとを問わないことは、多言を要しないが、不法に奪取せられるべき利益がないときには、いかに暴行脅迫を加えても、他罪の成立するのは格別として、右の二項強盗罪は成立しないのであるから、その暴行脅迫は、利益の移転が可能な状態の継続中において行われることを要する。そして、一且騙取した財物について、その代金の支払債務を免れるために欺罔行為をしても重ねていわゆる二項詐欺が成立しないと解するならば、その支払を免れるために暴行脅迫を加えても二項強盗罪が成立しないと解するのは、理の当然である。なんとなれば、その場合、重ねて不法利得罪の成立を認めるとすれば、同一の客体について、一且財物奪取として処罰したものを更に利益奪取として処罰することによつて、同一の法益につき、刑罰的に二重評価するという不当の結果を招来するからである。この点において、利益移転の可能な状態の継続中、例えば自動車運転中に奪取の犯意を生じた場合(大審院昭和六年五月八日判決)とを区別することを要するのである。

本件においては、被告人が山岡菊美を欺罔して飲食物を提供させ、被害者山岡菊美が、被告人に対し飲食物の提供をやめ、勘定を締めて代金の支払を請求したときにおいて、一項詐欺が完成し、その後においては、右の飲食物について重ねて移転せらるべき利益は存在しないのであるから、被告人が菊美を殺害したのは強盗殺人ではなくて、詐欺と殺人との併合罪であると解しなければならない。

以上の理由により、右本位的訴因は、証拠上及び法律上採用できない。

なお、本位的訴因の強盗殺人を予備的に詐欺、殺人の訴因に変更することが許されるかどうか、という点については、山岡菊美に対する一項詐欺による代金の支払を免れるために同女を殺害したという訴因と、山岡菊美に対する詐欺及び殺人の訴因とは、公訴事実の同一性を失わないから、右の予備的訴因の変更請求は正当であると解し、その予備的に変更された訴因について判決する次第である。

(法令の適用)

被告人の判示行為中、第一は、刑法第二四六条第一項に、第二は同法第一九九条に該当するから、殺人罪については有期懲役刑を選択し、被告人には前示前科があるから、同法第五六条第一項、第五七条、第一四条にしたがい、それぞれ法定の加重をし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条、第一四条により、重い判示第二の罪の刑に法定の加重をしたうえ、被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二一条により、主文第二項のとおり未決勾留日数の一部を右本刑に算入し、訴訟費用については、被告人が貧困のため納付することができないことが明らかであるから、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、被告人に負担させないこととする。

(裁判官 山崎薫 田原潔 西村清治)

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